昨日サイト巡りをしてみて分かったことがあります。
そしてそれは私にとっては少し哀しい現実でもありました。
つまり……
・イラストや文章が非常に巧い、或いは長期間運営している≪聖闘士星矢≫の創作サイトは≪冥王ハーデス冥界編≫(新生キャスト版)を支援している管理人が運営している可能性が意外に高いということ。
――――駄目じゃん(泣)。
初めは「どうして長年ファンやってて“新生”が受け入れられるのよー?」とガックリ肩を落としたものでしたが、暫くしてから冷静に考えて……ああ、と突然気付いたことがありました。
(どのジャンルにも言えることですが)創作サイトというのは言い替えると同人誌の延長です。
では同人誌とは一体どういうものなのか? 御存じの方には説明も不要のことと思いますが、要するにそれは“既存のキャラクターや世界観を自分の理想に近付け、自己流にアレンジした創作”の集合体であるわけです。
特に≪~星矢≫のような戦闘ものはキャラクターだけを使用し世界観をも無視して物語を創り上げている確率が非常に高く(分かり易く言えばパラレルワールドである確率が非常に高く)、こうした創作を繰り返していると書き手によっては“既存のキャラクター”と“自作のキャラクター”が心のどこかで混濁してしまうことも起こり得ます。
例えば御手洗さんと石岡君だって、やはり書き手によって多少は性格や振る舞いが違ってくるものでしょう?(管理人の方も“うちの御手洗さん”、“うちの石岡君”という表現を自覚の元に多用しているはずですし)
ということはつまり――
≪~星矢≫の同人創作に長く携わっている方達というのは、それだけ深く(四六時中)瞬や氷河や一輝のことを考え続けているわけで。
そうした行為は自然と“既存の原作やアニメ”から離れ、“自分が持つイメージのキャラクター達”に接する時間が非常に長くなるということにも繋がります。
そして同人誌においても創作サイトにおいても書き手はやはり女性である可能性が非常に高く、この創り手達が長時間“自分の想像上の瞬や氷河、一輝や星矢や紫龍”と接しているということになるのです。
元は少年漫画の主人公なのに二次創作の者達の手によって彼等は少女漫画、或いはボーイズラヴの主人公へとアレンジされてしまう。
さて、するとどうなるか?
それは
≪聖闘士星矢≫のキャラクター達の表面的なパーソナリティーを含んだ“偽者の瞬や氷河、一輝や星矢や紫龍”が創られているということ。
二次創作者達の想像の数だけ彼等の“偽物”も存在し、また作品の数が増えれば増える程
本物のイメージは少しずつ変化させられているということになります。
だからこそ前述した“長く運営している創作サイトの管理人達こそが”逆に“新生キャスト版の≪聖闘士星矢≫を受け入れることが出来る”のではないか? 私はそう思うのです。
だって
彼女達が拘っているのは、執着しているのはあくまで“アンドロメダ瞬”“キグナス氷河”“ペガサス星矢”というパーソナリティーを持った少年達であり、また彼等でありさえすればそれでいいわけですから。
原作のイメージもアニメのイメージも関係ない、要するに
自分達の想像力を、幸福感を高めてくれる構図さえ観られればそれで満足出来るのですから。
私達が“御手洗”“石岡”という文字を見ると島田先生が書かれたものではない作品でも気になって手に取ってしまうのと同じ、“紫龍”に、“一輝”に飢えている方達は例えそれが≪冥王ハーデス冥界編≫(新生キャスト版)でも喜んで手に取ってしまうのです。
そしてそれは仕方がないことのような気がします。
彼等のヴィジュアル面や個性に惹かれ“情熱”や“懸命さ”は不要だという方達は寧ろ新生キャストの方がイメージ通りだという感想を抱いたのかも知れませんし。
そういうわけで、私が見たところ
真正キャストに拘り今も反対運動を続けていらっしゃるのは“オリジナルの世界観に心底愛着を抱いていた、そのキャラクター性を唯一無二のものとし愛していた方”が非常に多いという結論が出ました。
そしてそういう方達は“パラレルワールド的な創作”よりも“作品の考察やキャラクター分析”のページをきっちりと創っているケースが比較的多いのだということ。
……ふぅん。成程ね。
これはあくまで私の個人的な感想ですが、何だか納得出来る気がしました。
――あ、ちなみに今日も09:00~16:00までまともに仕事へ行くことが出来ましたよ?
やったね私。
[0回]